>>back to label list

青山真治 『AA』
公開記念インタヴュー

聞き手:大谷能生

青山真治監督が音楽批評家、故・間章を対象に撮り上げた巨大なドキュメンタリー作品『AA』が、現在公開中です。
『「河岸忘日抄」にて』リリース関連企画として、大谷能生による青山監督のインタビューをお届けします。

http://www.aa-movie.com/


――批評家、間章のドキュメンタリーを作ろうとお考えになったのは何時ごろからでしょうか?

青山:おそらく『路地へ 中上健次の残したフィルム』(以下『路地へ』)という作品を作ったあとに、自分にとって重要な人のドキュメンタリーを作るっていうことが、ひとつ自分の仕事としてはあるなと考えるようになった。で、『路地へ』のときもそうだったんだけど、井土紀州という映画監督がいまして、井土くんがやはり間章にこだわっていた部分があって。それから井土くんの先輩に安井豊という映画批評家がいますけど、彼ともまたよく間章の話をしていて、いつか間章のことを考えるときがくるだろうという漠然としたものはあったんです。映画美学校という学校の研究科という課程で、中野重治の「五勺の酒」っていう短編を朗読する『すでに老いた彼女のすべてについては語らぬために』っていう作品を作って、で、もう一本何か作ろうという話になったときに、じゃあ『路地へ』と同じくらいの長さで、間章についてのドキュメンタリーを作ろうということになったんですね。だから、『路地へ』があって、映画美学校での作業があって、という流れのなかで始まった企画ということになりますね。

――映画美学校の生徒さんたちと作られたということですね。授業として、ドキュメンタリーの作り方のノウハウを教えるという意味合いもあったわけですか?

青山:そうですね。ノウハウというか、最初に作った『すでに老いた〜』も、あと『路地へ』も朗読ものだったので、間章に関してはそれとは違うことがやりたいということで考えていたら、じゃあ、いろいろな人にインタヴューをするのが一番いいんじゃないかという提案を安井豊さんが出してくれたんです。安井さんの発想は、灰野敬二さんという間章と縁のある人物にアコースティックでギターを弾いてもらう、というところからスタートしていて、それを重要視しながら話を進めていくうちに、あの人にも話を聞かなきゃいけない、この人にも聞かなきゃいけない、といろいろな人が現れてきた。それで、もう間章に留まらず、あの時期から現在に至るまでの、ジャズだけではなくロックも、さらに音楽そのものに留まらず「批評」ってもののあり方まで含めたものへと話が膨らんでいって、どんどんまとまらないものに(笑)。でも、ある程度形がつけられないと作品として上映することが難しいんで、勝手にですね、当初は1時間前後のものを作ると言っていたけれど、1時間前後のものが6本できちゃったということにして(笑)。今新聞とかで(『AA』について)「7時間半くらいの長さの作品」とか報道されていると思うんですけど、そうじゃなくて、1時間ちょっとの作品が×6本あるというだけだと認識していただきたい。テレビの旅番組が6本あるようなものだってことでね、見るのが苦行だってことも、別に当時の状況を知らないと難解だってこともないので、出来るだけ若い人に見てもらいたいですね。

――あの時代、間章が活動していた時代のムーヴメントだったり批評の在り方についてを、そこから切り離されている若い人たちに伝達したいというようなモチベーションが青山さんにはあったのでしょうか?

青山:うーん、強くあったというわけではないんですが、でも、現在と、間が活動していた時代とには断絶とか誤解があるような気はしています。それを解消しようとは思わないんですが、あの時代のものはもういい、といった簡単な切り捨て方とか、あるいはあの時期のムーヴメントが一種の伝説化、神話化される、そういった事態に対する憧れっていう感情も含めて、もうちょっと考え直さなくてはならないというか。当時、間と一緒に活動していた人たちに彼のことを回想してもらうと同時に、現在、2000年代とのつながりを考えてもらう。そんな感じで、ある距離をなくすと言うか、いっぺん置かれた距離をチャラにするような感じにしたかったんです。間章が死んだ78年当時、僕は中学2年生で、彼が死ぬちょっと前に「ロック・マガジン」という雑誌に連載していた間の文章を読んでいたくらいで、僕も彼の批評は後から書物になったものを読んで知った世代なんですよ。当時は彼のこともその周りのシーンも全然知らなかった。
それで、その中学生の時に読んだ間の文章は全然理解が出来なかったんです。それまで世界名作全集や教科書や新聞しか読んだことがない子供が、「何だ、これは? こんなものがあるのか」という感じで心を掴まれて引っ張られた。あのとき何故引っ張られたかと考えると、ウィリアム・バロウズの顔が必ず浮かびます。「ロック・マガジン」の連載で間はバロウズについて語っていて、確かバロウズの写真も載っていたんですよ。それでウィリアム・バロウズという人の本を探して、読んでみて、それも全然わからなくて、でもそこに相当埋没していった。同時に、MC5とかストゥージーズといった、今で言うガレージ・ロックとウィリアム・バロウズの関係みたいなものにも惹かれました。一度文章でも書いたことがあるんですけど、その頃東京にいて、こういったシーンに直に触れて埋没していたら、僕はもうそこで死んでいたかもしれないって思うところがあるんですよ(笑)。『AA』のなかで僕が非常に好きなところなんですけど、灰野さんが「なぜ命を削るようなことをするのか」ということを力説するところがあって。僕はお祭り男なんで、分別がない時期にそこに入っていっていたら、人より率先してそういうことをしていたかもしれない。

――青山さんにとっても「間章」という存在は、メディアを通した間接的な距離でもって影響を受けた、ということですね。現在、そういったものについてドキュメントを制作するということは、青山さんにとってそうした、70年代後半に自分が一度触れたものを今、もう一度正面切って見直すという作業が必要となったということでしょうか? また、それは中上健次についても言えることでしょうか?

青山:中上健次については自分の仕事という感じで、これは正面切ってやらなければならないと思ってました。中上そのものと向かい合うつもりだったし、中上という人と向き合うということは、つまり紀州という土地と向かい合うことだったりもするんで、自分がキャメラを持ってあそこに行くということが画になるなという感覚がありました。
『AA』については、学生とか、若いミュージシャンとか音楽批評家とか、実際僕より10歳くらい年下の人たちと付き合うようになってから、話しているときに出てくる感覚が、あの種の話について、何かこっちにはずっと喉につっかえながらも言わなきゃいけないっていうことがあるんだけど、下の世代にはそれをすんなり言えてしまっている人たちがいるんですよね。逆に上の世代は頑なに口を閉ざしていたりもする。中野重治を朗読する作品を作っていたときにもすでに感じていた違和感なんですけど、そういうことをいろいろとストレートに解釈している世代というのが僕の目の前に現れて、「これをダイレクトに咀嚼できちゃうんだ、う〜ん……」って思った。それで、ひとつ捻ったというか、シニカルにならざるをえない自分とこの人たちとの距離はどうやったらもっと顕在化するんだろうって思って、その時にひとつの素材として間章があったということはあったかもしれないですね。
あと、自分より年下の人に感じるのは、何かを見ること、あるいは読むことが苦痛か苦痛でないか、その区別がはっきりしていて、そのどちらかなんですよね。僕らはその間で、これを読むことは苦痛であるけれども、それが快楽に変わったりもするし、ある種読むということは苦行を全うすることであるようなことをどこかで信じているところがある。でも、彼らはもしかしたら信じていないんじゃないかという気もするし、情報として受け取れないものは要らないものってことで、最初から触れることがない。

――間章の文章は情報としては受け止められない性質のものですよね。

青山:そう。そこで「要らないものは要らないですよ」って言われたら身も蓋もないんだけど、そういった感覚に対する違和感というのが根元的にあるんだと思いますね。同時に、「いやあ、これ読むの苦痛ですよね。あははは」って、その苦痛をあたかもシニカルに享受してしまうのもちょっと違う気がする。退屈である、苦痛であるってことといかに付き合っていくかっていう感覚というのは、僕にとっては相当大事なことだったんだよな、と思って。やっぱり何もしていない時間というのはあって、「何もしていない時間なんか観たくないよ」と言われたらそれまでだけど、僕の映画には必要なんですよ。だから、『AA』という作品もそういう感覚で受け止められたとしたら、僕にとっては不本意なのかもしれない。

――『AA』には、間章その人は映像としては一切出てこないし、彼が何をやったかということも客観的な形では出てこない。ただ単に同時代、または後からでも何かしら関わっている人のインタヴューが続いてゆくってことで、彼の正確な略歴がわかるとか当時の状況を勉強できる、っていうような作品ではまったくない。でも、そういったある意味迂遠なやり方でないと捕らえられない感覚もある、ということですよね。話が大きくなりますが、学生運動が終わって80年代に向かっていくあの時代を描くためには、そういったある意味迂遠なスタイルを意識的に取らなければいけなかった、ということはありますか?

青山:平井玄さんのお話がそこらへんを一番埋めてくれるもので、むしろそれが僕が聞きたかったもののひとつなんですが、間が生きている当時がどうであったかというよりも、その後のこと、その後から現在までを埋めることが僕にとっては一番わからなかったことでした。政治運動に関わった人の中から、一種ヒッピー化していく人、保守に埋没していく人、あるいはアカデミシャンのほうに向かう人、完全に足を洗ってふつうのサラリーマンになる人などなど、様々な進路があったと思うんですけど、平井さんほどずっと継続して同じ姿勢でやっている人はあまりいないと思うんですよ。だから、平井さんが彼以外の人々の行動をどう見るか、どう捉えているか、ということは今、是非聞いてみたかった。結局、あの時期に何があったのかは細部まではわからないと思うけれど、でもものすごく細い線だったとしても、現在まで継続しているものも確かにある。そういったものを語るというか、見ることが出来るものがひとつなければいけないんじゃないかってことで、『AA』をね、まあやらなくてもいいんだけど、今暇だからやっとこうかみたいな(笑)。そう言うと無責任に聞こえるかもしれないですけど、こういったことをやるにはある種の覚悟が必要でしたね。


大谷能生『「河岸忘日抄」より』
GRAM0PHONE 1 / HEADZ 86 
¥ 2,500 (tax incl.) ¥ 2,381 (without tax)
2006.12.13 on sale

音楽批評家としてだけではなく、菊地成孔との共著、simやmas他ミュージシャンとしての活動も目覚ましい大谷能生が初のソロ・アルバムをリリース。
HEADZ内でスタートする言葉(Gram)と音(Phone)のレーベル、GRAM0PHONEの第一弾作品。
ゲストとして、12月にeast worksよりソロ・アルバム『into the black』をリリースするsimの大島輝之、11月にvectors/HEADZよりueno名義でソロ・アルバム『ハスノス』を発表したばかりの植野隆司(テニスコーツ)が参加。
ミックスはmasのヤマダタツヤが担当している。堀江敏幸の『河岸忘日抄』(新潮社)の大谷自身による朗読に、自ら作・編曲を手掛けたサウンドをミックスさせ、独自の録音作品を完成させた。

原作: 堀江敏幸『河岸忘日抄』(新潮社)
朗読、作曲、編曲、演奏、録音、編集: 大谷能生
Additional player: 大島輝之(E. Guitar)from sim、Veno Tagashi(A.Guitar)
from Tenniscorts
Mix: ヤマダタツヤ(mas)
Mastering: 庄司広光(sara disc)
Producer: 大谷能生


>>back to label list