『エヴリデイズ』は、アラン・リクトと恩田晃のふたりによる初のコラボレーション・アルバムである。そこでは、カセットテープやギターといった、ふたりがそれぞれ持つ手法によって日々行なわれた演奏が再構成され、新たな作品へと昇華し、タイトルが示唆する、音楽家あるいは生活者としての日常の堆積から生まれた、音楽的、映像的インスピレーションにあふれた音の織物として結実している。現在ニューヨークを拠点に活動するふたりの「毎日」はどこから始まったのか。これらの音が醸し出す感情はどこからやってくるのか。彼らの「毎日」には、何が見え、何が聴こえているのか。この「新しい音楽」が生まれた背景について、メール・インタヴューを行なった。

Interview & Text by 畠中実(ICC)
Photo by Stefano Giovannini

1.

ーー『Everydays』はふたりのコラボレーションによる初めての作品になりますが、制作はどのようにして始まったのですか。また、録音にいたる経緯はどのようなものだったのでしょうか。

アラン・リクト:以前、わたしはニューヨークのクラブ、トニックでブッキングの仕事をしていました。2001年だったか、アキがそこで演奏する時にサウンドチェックの時間をメールで知らせると、「あなたが『The Evan Dando Of Noise』(1997年、Corpus Hermeticum)を作ったアラン・リクト?」と返事がきた

恩田晃:アランの音楽はよく知っていて、特に90年代半ばに録音されたアルバム『The Evan Dando Of Noise』が好きだったんです。メールのやりとりの後、彼はわたしのコンサートを聴きに来て、その後はどちらからともなく一緒に演奏しようか、という話になりました。最初はトニックの地下にあったサブトニックで。その後に何度かトニックでも演奏しています。ラズ・メシナイ(パーカッション&エレクトロニクス奏者)が加わることもありました。

ーー実際に演奏をされた印象はどのようなものでしたか、また、ふたりの即興演奏の特徴はどのようなものだと思いますか。

恩田:わたしたちの演奏は即興でありながら、コール&レスポンスといった、即興音楽のクリシェを避け、ふたりで特定のモチーフをミニマルに繰り返しながら発展させていくものです。大きな流れのストラクチャーの内部で、絶えず小さな変化をエフェクト・ペダルで作りだし、リズムとハーモニーを干渉させながら楽曲のテンションをゆっくりと高めていきます。ひとつのコンサートで1時間から1時間半、2曲から4曲ぐらいを演奏しますが、曲と曲の転換は映像のシーンが切り替わっていくのに近いですね。フェード・インとアウトの場合もあれば、カット・インとアウトの時もあります。映像における「音のずり上げ」(映像の場面転換で、映像と音声が同時に次のカットに変わるのではなく、後の場面の音声だけが先行し、それをきっかけに映像が遅れて切り変わる手法)のように、ひとりが先に別のシーンに入ってから、もうひとりがフォローすることもあります。

ーーこの作品はライヴ演奏の録音を素材として、それに新たな録音を加えて再構成したものだそうですが、作曲上のコンセプトや、ふたりの役割について教えてください。

恩田:2004年にヨーロッパを一緒にツアーして、すべてのコンサートをDATに録音したんです。演奏はほとんど即興でした。ニューヨークに戻って録音された音源をふたりで聴き直して、良い部分をピック・アップしながら楽曲をコンポーズし始めた。ライヴの音源をそのまま使った箇所もありますし、同じように演奏して録り直した部分もあります。そこからわたしが編集作業を始めて、たまにアランに来てもらってギターをオーバーダビングしたりしました。完成までに2年ぐらいかかっていますが、締め切りがあったわけではないのでのんびりとしたペースでした。

リクト:ツアーの音源を聴き直して面白かったのは、即興とは言っても、わたしたちは毎晩同じようなアイデアを試していたということです。アキはよく同じ音源を違った曲で使っていたし、わたしも同じ奏法でも異なったヴァリエーションで演奏していた。そうすると、ストラクチャーが同じでも毎晩違うパターンの楽曲ができあがります。これは厳密な意味での即興音楽とは違って、むしろ作曲のプロセスに近いでしょう。いつも、わたし自身は楽曲のアイデアを考えてからライヴで試すことが多いのですが、このデュオでは演奏しながらアイデアを煮詰めていきました。特に、1曲目「tick tock」と5曲目「be bop」はその傾向が強いですね。ちなみに、このアルバムのタイトル『Everydays』は、ツアーで毎晩演奏しながら音楽ができあがっていった過程を表してもいます。それだけでなく、他に意味するところもありますが。

恩田:最初は、ライヴの音源をそのままリリースしようか、と話していました。その音源を素材にしてテープ・コンポシションの手法を用いて再構成してみよう、と思ったのはすべての音源を聴き直して、自分達がどうやって楽曲を発展させたのか意識的に理解した時です。こういう可能性もあるな、と。そうして、結果的にミュージック・コンクレートにライヴのダイナミクスを加えた作品ができたのでしょう。

ーーわたしはリクトさんの『A New York Minute』(2003年、Experimental Intermedia)の中の、特に「Muhammed Ali & the Crickets」のような曲を興味深く聴き、愛聴していました。ここには恩田さんとの共通点のようなものも見出せると思うのですが、お互いの音楽的なバックグラウンドの共通点、あるいは相違点をどのようにとらえていますか。


リクト:『A New York Minute』に収めたテープ・コンポシションは、具体音のループを作り、レイヤーをいくつも重ねながら作りあげていきました。そこはアキの作曲方法と似ています。ただ、わたしは音源をオリジナルなまま使い、まったく音響的な加工を加えていません。そこは、アキと違う。「Muhammed Ali & the Crickets」について言えば、リズムの類似性から曲を考えていきました。モハメッド・アリがサンド・バッグを打ち鳴らす音と、ヘビーメタル(スレイヤー)のサンプルが同じようなリズムを刻んでいます。それに、コオロギの鳴く音のリズムが重なります。アルバムの1曲目、「A New York Minute」はラジオの天気予報を音源として使っています。毎日同じ時間に放送される天気予報を並べただけのものです。それが地下鉄の改札機をひとが通る度にたてる電子音に切り替わっていく。誰もが知っている日常的な音を拾いあげていくとどうなるか、というコンセプトにもとづいて作られたこの曲は、「Muhammed Ali & the Crickets」と違って、具体音の持つ「意味」が楽曲のコンセプトに関わっています。

ーーあるアイデアから、楽曲のシステムとそのプロセスを考え、それを実行するというのは、初期のライヒやライリー、あるいはイーノなどにも通じる作曲方法だと思いますが、そうした作曲家たちからの影響はありますか?あるいはクリティカルに継承するような方法論がありますか?

リクト:それら3人のコンポーザーからは影響を受けています。『A New York Minute』に収録した「Remingtons Khan」は、テリー・ライリーの長いオルガン即興演奏にインスパイアされています。それに、わたしはヘンリー・カイザーの『It's a Wonderful Life』(1984年、Metalanguage)を聴いてから、自分自身のソロ・ギターの即興演奏のスタイルを確立していったのですが、カイザーのそのアルバム自体がライリーに影響されています。ブライアン・イーノのループ・サウンドの使い方は今でもよく試してみますし、スティーブ・ライヒの反復構造を持ったリハーモナイズ(reharmonizations with repetitive structures)のアイデアはいまだに作曲、即興に関わらずよく用います。

恩田:アランの場合は「コンセプトが先にありき」なんです。わたしはまず演奏してみて、なにか直感的に閃いたら、そこからコンポーズしていく。先にコンポーズするか、後でするか。そこはわたしたちの決定的な違いですね。それに、わたしは自分でフィールド・レコーディングした音、またはファウンド・サウンドでも自分の記憶や経験に深く関わった音を使いますが、アランにはそういったこだわりはない。でも、違いは別にして、お互いの作曲、演奏の方法はかなり似ています。そのせいか、一緒に仕事をしていてあまり意見の相違がない。

ーー「自分の記憶や経験に深く関わった音を使う」ということが、恩田さんの音楽を構成する重要な要素になっていると思います。なぜそのような音を選択するのですか、あるいは、そのような音が選択されてしまうのですか?

恩田:わたしは「記憶」というものに並々ならぬ興味を抱いています。オブセッションなので、それに対してことさら意味付けをしようとは思いません。音であれ写真であれ、日記的に録り/撮り溜めていって、それらを素材にしてなにかを作り出すのがわたしのアートなんです。でも、正直なところ、陰気な気の滅入る作業ですね。いくら記憶の堆積が大きくなったとしても、それは自分の経験してきた現実の名残でしかないわけです。まるで現実の陰と戯れているような、おぼろげに揺らめく影絵を観ているような儚さを感じることがある。掴もうとしても掴めない。録り/撮り続けることは、なにかを得るというよりは、なにかを失い続けることに近い。
それに、わたしは自分自身の記憶だけでなく、文化や都市やコミュニティーが持つより集合的な記憶にも興味を持っています。というか、個人の記憶も集団の記憶も本質的には同じようなものではないか。個人の記憶を掘り下げていくと必ずより大きな集合的な記憶につながります。音楽でいえば、これまでに聴き続けてきたすべての音楽があったうえで、今、この瞬間に自分が演奏している音楽があるのだと思う。
このアルバムの4曲目「chitchat」で、ジョン・コルトレーンのラジオ・インタヴューのテープを使いました。楽曲のベースになるループを作った後にアランが提案したアイデアなんですが、そのインタヴューの音源のカセットを聴いて、楽曲の方向性が定まりました。コルトレーンがインタヴュアーとマルコムXについて話している箇所の前に、わたしがニューヨークの地下鉄のプラットフォームで録音した黒人の女の娘たちのたわいのない日常的な会話をつなげて、でたらめにカセットを演奏したら、ジャズのフレーズが飛び出してきた。ただの偶然なんですが、コルトレーンという記号と街角の音が出会い、ニューヨークらしいサウンドスケープができあがってしまった。それは、なんらかの必然性があったからかも知れない。わたしはそういった記憶の連鎖を紡ぎだしていくうちに見えてくる何かに興味があります。そういえば、「chitchat」は、アランがギターの弦とネックの間にニューヨークの地下鉄のメトロカードを挟み込んで弾いたプリペアド・ギターの音を重ねています…。ちょっと話がズレましたね(笑)。


Alan Licht & Aki Onda “Everydays”
アラン・リクト & 恩田晃 『エヴリデイズ』
vector 10 / HEADZ 114
¥ 2,415(tax incl.)¥ 2,300(without tax)
HEADZ / Family Vineyard
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