ラファエル・トラル「ハーモニック・シリーズ: 倍音連鎖」 ライナーノート


私は以前から音の内的構造と深く関わってきましたし、ギタリストという存在はハーモニクスに慣れ親しんでいるものなので、「ハーモニック・シリーズ」へと向かったのは私にとってごく自然な成り行きでした。フーリエの理論にインスピレーションを受けて、私は音響合成の最も根本的要素であるサイン波を扱うことにしました。
『ハーモニック・シリーズ』は私にとって、コンピュータを音楽的楽器として使用した初のプロジェクトです。コンピュータを使用するようになったのは、今までアナログ・モジュラー・システムを使用していたことの延長線上にありますが、作曲とパフォーマンスに対する私の全面的なアプローチを変化させるために継続中のプロセスでもあります。このプロセスは私にとって、コンピュータ・ミュージック・パフォーマンスとコンピュータによる音楽制作に対するありきたりなアプローチから距離を置く機会でもあるのです。 ------------ラファエル・トラル



 ラファエル・トラルという名前を最初に聞いたのがいつのことだったのか、今となっては判然としないのだが、かつてシカゴに取材に行った際、ジム・オルークの自宅でインタビューの後に四方山話をしていて、ポルトガルのシーンが面白い、というようなことをジムが言い出して、ヌノ・カヴァナロなんかと一緒にトラルの名が出た時には、既に聞き覚えがあったことを記憶している。たぶんインターネットで知ったのだと思う。
 けれども、実際に音を聴くことができたのは、やはりジムのおかげだった。彼がかつてデイヴィッド・グラブスと共に運営していたドラッグ・シティ傘下の再発専門レーベル、デクスターズ・シガーから、トラルがポルトガルのマイナー・レーベルから小部数だけリリースしていたレコードがリイシューされたのである。"WAVE FIELD"というタイトルのそのアルバムは、期待にたがわぬ素晴しい作品だった。真っ赤に染まったギターのクローズアップをあしらったジャケット(マイ・ブラッデイ・ヴァレンタインに捧げられたものだという)に覆われたCDには、あまりにも繊細過ぎて空恐ろしくなるような、美しくも凶暴なエレクトリック・ギターによるドローン・ミュージックが収められていたのだ。それは濃い霧のようにこちらの聴覚を覆いつくし、周囲の空間を丸ごと何か異次元的なものに変容させるほどの強度を秘めていた。それは確かにギターなのだが、むしろ振動する弦と空間との軋みがそのまま音楽となっているかのような印象を与えたのだ。こいつはただ者ではない。そう思った。
 つづいてトラルをピックアップしたのは、後にジムをバンドに迎えることになるソニック・ユースのサーストン・ムーアだった。95〜96年にトラルが行ったアメリカ・ツアーでのライヴ・レコーディングを核とするアルバム"CHASING SONIC BOOMS"が、サーストンが運営するエクスタティック・ピース!からリリースされたのだ。ちなみにシカゴでの演奏には、ジム・オルークもアコーディオン他で参加している。このライヴ盤を聴いてみると、トラルが真に独創的なスタイルと美学を持ったミュージシャンであることが分かる。ギター演奏における、ごくありふれた機材や技法を徹底的に拡張して使用することで、驚くべきユニークな音像を提示してみせる手腕は、誰にも真似のできないものだ。またトラルは、ソニック・ユースのもう一人のギタリスト、リー・ラナルドのソロ作"AMARILLO RAMP"や、ジム・オルークがメンバーとして加入しプロデュースもしたSYの"NYCゴースト&フラワーズ"にゲストで参加している。
 その後、ポルトガルのレーベルANANANA(現在は活動を停止し、SIRRとクロニカの二つのレーベルに分かれているが、関係は良好なようだ)とコンタクトが取れ、同レーベルから発表されていた、トラルの過去のアルバムの何枚かを聴くことができた。ファーストCDに当たる"SOUND MIND SOUND BODY"では、80年代後半からの曲が聴けるのだが、トラル独特の優雅なノイジィさは、この時点ですでにひとつの型を成している。また、サンプラー奏者のパウロ・フェッリシアーノとのユニットNO NOISE REDUCTIONでは、改造したチープな電子機器を使った即興やコラージュを試みているのだが、そこで示される音色の奇抜さは一聴に値する(惜しくも解散してしまったスイスのヴォイス・クラックを彷佛とさせる)。確認できた限りでは唯一のトラルのユニットであるNNRは現在活動停止中だが、90年代末から彼はAMMのキース・ロウをリーダーとする汎ヨーロッパ的エレクトロ・アコースティック即興楽団MIMEOに、メゴのピタやフェネス、メタムキンのジェローム・ノイティンゲル、ゲルト・ヤン・プリンス、トーマス・レーン、マーカス・シュミックラー、カフェ・マシューズ等と共に参加、" ELECTRIC CHAIR+TABLE"や"THE HANDS OF CARAVAGGIO"(AMMのジョン・ティルバリーとの共演盤)等といったアルバムをリリースしている。
 基本的にトラルのアプローチは、ロックのイディオムよりもむしろ、たとえばアルヴィン・ルシエやアーノルド・ドレイブラット、あるいはトニー・コンラッドのような実験的な作曲家の系譜に連なるものだと言えるだろう。彼の生み出すサウンドには、たとえば同じく極めて個性的なギタリストであるローレン・マザケイン・コナーズや杉本拓などには確かにあるギターへの愛情やフェティシズムが、ほとんんど感じられない。そもそも彼はギターを「弾く」「奏でる」というよりも、ただ単に「鳴らす」といった感じなのだ。ルシエに"MUSIC ON A LONG THIN WIRE"という有名な作品があるが、さながらトラルはギターを変種のワイアーとしか見なしていないかのようなのだ。それは同時に、音を空気の振動にまで還元して捉えることにより、よりピュアでラディカルなアプローチを取るということでもある。
 その後のディスコグラフィーを追ってみよう。ケヴィン・ドラムの衝撃的なデビュー作をリリースしたことでも知られるシカゴのパーディション・プラスティックスから出されたアルバム"AERIOLA FREQUENCY"では、トラルはギターを弾いておらず、インプットなしの空のフィードバックの共鳴だけで「演奏」するという試みに挑戦している(これは中村としまるがミキシングボードで行なっている手法と似ている)。しかし、そこで生まれてくる精妙な音響は、確かに彼がかつてギターを使用して紡ぎ出していたものの延長先上にある。それはいわば「ギターの幽霊」なのではないか?
……実はトラルは、これまでだって、通常のいかなる意味においても「ギタリスト」ではなかった、と言えるのかもしれない。しかし同時に、彼はたとえギターを二度と手に取ることがなかったとしても、やはり一種の「ギタリスト」なのである。前後してドイツのトムラブからリリースされたミニ・アルバム"CYCLORAMA LIFT 3"は、同じセッションで録音されたがアルバムに収録されなかった楽曲を纏めたものである。
 続いてイギリスのタッチからCDが、ドイツのシュタウブゴールドからLPがリリースされた"VIOLENCE OF DISCOVERY AND CALM OF ACCEPTANCE"では、トラルが93年から2000年までの7年に渡ってレコーディングしていた短いトラックを集成したもの。1曲だけスペース・シャトルのリアルタイムでのウェブ放送から採られた「サイレンス」が素材として用いられている以外は、すべてエレクトリック・ギターのみを使って制作されている。タッチからは限定盤のライヴ・シリーズの一環として"ENGINE03_04_02"も出ている。またシュタウブゴールドからリリースされたトラルと並ぶ音響派ギタリスト、オーレン・アンバーチによるポップ・バンド、サンのアルバムに、リミキサーとして参加している(日本盤はヘッズより)。更にトムラブからは"VIOLENCE OF〜"以前の録音(もっとも古い曲は87年の制作)を集めた、その名も"EARLY WORKS"がリリースされている(ちなみにトラルは80年代から90年代の初頭ぐらいまでポルトガルの幾つかのロック・バンドのプロデュースも行なっている。ポップ・デラルテ、ティナ&ザ・トップ・テン、スーパーノヴァ、トースト、クロックワーク等といったバンドだったようだが、残念ながらいずれも未聴)。
 やはりトムラブから出た問題作"ELECTRIC BABYLAND/LULLABIES"は、99年にオランダのミュー・ミューザックからリリースされた幻の7インチが元になった作品集(トムラブのオーナーであるトムがこの作品に惚れ込んでトラルにアルバム化を申し出たのだという)で、古いオルゴールをアナログ・モジュラー・シンセで増幅/変調して、儚くも美しい音響を作り出す、というものである。トラルはこのスタイルでヨーロッパ・ツアーも行なった。そして、この「ララバイ・プロジェクト」に一区切りを付けたトラルが次に着手したのが、他ならぬ本作を含む「ハーモニック・シリーズ」というわけである。
 最終的に三部作になる予定の「ハーモニック・シリーズ」については、トラル自身のライナーも参照してほしいが、簡単にいえば、サイン・ウェイヴとコンピュータの全面的な使用を核とする連作と言えるだろう。それまではマテリアルとなるサウンドをアナログ・モジュラー・システムで変調させてきたトラルが、新たにラップトップ・コンピュータを導入し、サイン波を自在にコントロールしながら即興的に音を変容させてゆき、時にはその上から新たにサイン波を重ね合わせたり、ギターでフレーズのようなものを奏でたりするという、ある意味で彼の過去の方法論を集大成しながらテクノロジカルにアップデイトさせたような、画期的な試みとなっている。第一作は、アメリカのテーブル・オブ・ジ・エレメンツから片面LPのシリーズ「ランサナイド」の一枚としてリリースされた20分ほどの作品で、これがプロトタイプ。第二作が本作となっている。2003年7月にトラルはヘッズの招聘で初来日したが、本作はその際に披露されたマテリアルを精緻に編集、加工して完成された、オーディオ・ヴァージョンとしての「ハーモニック・シリーズ」の決定版である。この「ハーモニック・シリーズ」は、けっしていわゆる「ライヴ・アルバム」ではない。むしろ以前のトラル作品の方が、字義通りの意味で「ライヴ」に近いものだったのだ。本作はコンピュータの使用によって、ポスト・プロダクションの次元でも、徹底した作業が施され、トラルの音響美学が細部まで行き渡った傑作となっている。なお三部作のラストはインスタレーション・ヴァージョンになる予定だが、いまだ発表されていない。
 ところで、ラファエル・トラルは既に新たな、そして本人曰く「過去20年間で最大の決定的な変化」だというプロジェクトに向かっている。その名を「スペース・プログラム」と言い、ライヴ・パフォーマンスは「スペース・スタディーズ」、レコーディング作品は「スペース」と呼ばれることになるという。今のところ、これ以上の情報はなく、一体どのようなアイデアなのか皆目不明だが、大いに期待して待ちたいと思う。
 最後に、おそらく多くの人たちを驚かせる(?)だろう日本語を大きくあしらったアートワークは、日本のリスナーや友人知人への敬愛の念を込めて、ラファエル(と最後だけファーストネームで呼ぶが)本人が思い付いたアイデアであることを付け加えておく。

佐々木 敦(HEADZ/FADER)