• とんかつ


    服部玲治



    初めて訪問したのは、まだHOSEが活動活発化していたさなかの2009年だった。
    静岡県浜松市。新幹線の駅から10分ほど歩くと、小さな扉に奥ゆかしい暖簾。知らなければここが、全国にその名を轟かすとんかつの名店だとは気づかないだろう。



    同好の志2名と、とんかつを食べるだけの目的で東京から日帰りで中部地方に赴く。朝食を抜いてベストコンディションで臨んだ1軒目の浜松。品書きをみると松竹梅の3ランクあり、違いを尋ねると、松はリブロースで、竹が一番オススメとのこと。巨大な枝肉を取り出して、どこの部位を切り取ろうかと大きな包丁を手にするご主人はすでに70歳代で、にじみ出る貫禄とともに、とんかつという食べ物に奉仕していたからか、大きな体躯といい表情といい、どこか豚の見た目に漸近しているような感覚を覚えてしまうのは、ひょっとしたら私だけではあるまい。おすすめに従い、ここは竹をオーダーしてみる。
    純白の脂がぴっちりと入った、背徳的なビジュアルの肉塊を惜しげもなく、分厚く牛刀で切り取る。
    漆黒の年季の入った鍋に、よどみない所作で衣を纏わせた肉を投入した瞬間のことだ。大将の顔面の右半分が歪みくしゃげ、やもすると苦悶に満ちた表情と形容したくなるような顔貌と化した。その目線の先にあるのは、勢いよく泡立ちはじめた揚げ油だ。泡のかたまりが、まるで生き物のように鍋から増殖し、鍋からこぼれんばかりになる。
    油をコントロールしているというよりも、なすがままに油を暴れさせているような、そんな感覚さえ覚えるこの揚げの手法を、顔面を歪ませながらドライヴさせて、引き上げられる。



    衣は毛羽立ち、ラードの香りが立ちのぼる。口の中で暴れる衣。サクッとした食感がまずは歯を通じて脳天に響き渡り、とんかつを食べる悦楽に満たされる。だが、その衣以上にこのとんかつを特筆させているのは、肉質だ。上部の脂身エリアの濃厚な甘み。そして、赤身の部分に縦横に侵入しているサシ。この脂身の旨味が他のどの店よりも際立っている。卓上にはソースと塩が用意されているが、このとんかつは圧倒的に塩。脂身の甘みを引き立ててやまないのだ。

    この日のとんかつ日帰りツアーは、ここを皮切りに、(浜松だけに)「かんたろう」で鰻をいただき、さらに車中移動のお供に稲荷寿司と豊橋名物のスイーツ「あんまき」を。その後、名古屋の僻地にあるとんかつの名店「あさくら」で特ロース定食を味わい、さらに串カツ「ラブリー」で味噌串カツを食べ帰京した。
    純粋なとんかつ屋は2軒のみ回ったわけだが、まことに対称的。名古屋「あさくら」は、脂身も赤身も見事にシームレスで、さらりと口の中でほどけて後味が清澄な、まるで「水のようなとんかつ」。
    対して浜松のそれは、揚げのスタイル、店主の揚げ鍋を見つめるマッドな表情、暴れる衣、肉質の過剰なまでの濃厚さ(旨味も脂も)で、「とんかつ」のとんかつ性が、まるで揚げ油の泡の増殖のように身体じゅうに満たされるのだ。初訪問以来、私はこの店を、リスペクトを込めて「とんかつ界の狂犬」と呼んでいる。
    (続く)










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